「最後の征夷大将軍は徳川慶喜。初代征夷大将軍は?」【昔習ったのと違うかも?】→「間違ってた!」「覚えておきます」

  • 2026年03月17日公開

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こんにちは、ヨムーノ編集部です。

織田信長や上杉謙信が幼少期に呼ばれていた名前を知っていますか?
本記事では、有名武将の幼名や「初代征夷大将軍は誰?」といった、知っているようで間違えやすい日本史クイズを出題します。

さらに、昔の人が大人になるタイミングで名前を変えた「元服」の歴史や、現代に幼名の風習が消えた理由などの豆知識も徹底解説。名前の裏側に隠された興味深いエピソードを紐解きながら、楽しく日本史の知識を深めましょう!

織田信長の幼少期の名前は?

誰もが知るこの信長ですが、彼がまだ幼く、尾張の城下町で奔放に育っていた頃、どのような名前で呼ばれていたかご存じですか?

次のうちから選んでみてください。

① 竹千代

② 日吉丸

③ 吉法師

正解は……

③の吉法師(きっぽうし)でした!

織田信長は、幼い頃「吉法師」という名前で呼ばれていました。

当時、吉法師は城下を走り回り、奇抜な服装をしていたため、周囲からは「尾張の大うつけ(大馬鹿者)」と陰口を叩かれていました。
しかし、この型破りな行動こそが、後の天下統一への道を切り開く、信長らしい独創性の表れだったのかもしれません。

豆知識:なぜ、現代は「幼少期の名前」がないの?

戦国武将が幼少期と成人後で名前を変えたのは、「元服(げんぷく)」という成人儀礼が大きく関係しています。

1. 昔の武将は「成人したら改名」がセットだった

昔の日本には、子どもから大人になるための儀式「元服」がありました。この儀式で、烏帽子(えぼし)をかぶり、髪型を変え、同時にそれまで使っていた幼名を廃して新しい本名(諱:いみな)を名乗るのが慣習でした。

幼名(吉法師、竹千代など)は、魔物から子どもを守るための縁起かつぎや、健康を願う親の愛情が込められた「子どもの名前」だったのです。

2. 「元服」が廃止され、幼名も消えた

この元服の習慣は、明治時代以降に廃れていきました。

明治29年(1896年)に民法が制定され、満20歳で一律に「成人」と定められたことで、伝統的な元服の儀式は社会的な意味を失います。

「成人になったら名前を変える」という慣習そのものがなくなったため、現代では、生まれた時に付けた名前をそのまま使い続けるのが一般的になりました。

幼名の習慣が消えた「最後の世代」は?

幼名の習慣が残っていた最後の世代として有名なのが、江戸幕府の終焉と明治維新の立役者たちです。彼らは、伝統的な武家の慣習に則り、幼名から本名に改名した「最後の著名人」となりました。

  • 徳川慶喜(最後の将軍)の幼名:七郎麻呂(しちろうまろ)

  • 勝海舟(幕末の政治家)の幼名:麟太郎(りんたろう)

  • 伊藤博文(初代内閣総理大臣)の幼名:利助(りすけ)

これらの人物の存在は、日本から幼名と元服の習慣が消え、現代に通じる名前の仕組みへと移行した、歴史の節目を物語っています。

上杉謙信の幼名は?

戦国武将の幼少期の名前は、その後の運命を予期させるような意味が込められていることもあります。

この記事では、上杉謙信の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!

次のうちから選んでみてください。

① 虎千代

② 雲洞庵

③ 吉法師

正解は……

①の虎千代(とらちよ)でした!

上杉謙信は、幼い頃「虎千代」という名前で呼ばれていました。これは、虎のように強く、たくましく育ってほしいという、家を継ぐ者に対する願いが込められた名前です。

若くして越後の国主となり、敵対した関東管領家の家督を継いで「上杉」姓を名乗るまで、彼は長尾景虎(ながおかげとら)という名前を名乗っていました。

彼の幼名にも、本名にも「虎」の文字が入っているのは、非常に興味深いですね。

▲雲洞庵

雲洞庵(うんとうあん)はお寺の名前です。
新潟県南魚沼市にあるお寺で、上杉景勝(謙信の養子)と、その重臣である直江兼続が幼少期に修行した場所として有名です。

吉法師は織田信長の幼名です。

「征夷大将軍」の初代は誰でしょうか?

次のうちの誰か、当ててください!

① 藤原道長
② 大伴弟麻呂
③ 坂上田村麻呂
④ 源頼朝

ちなみに最後の征夷大将軍は徳川慶喜ですね。

果たして答えは…

「坂上田村麻呂」だと思われがちですが、これは間違い!

正解は、②大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初代征夷大将軍です。

せいい‐たいしょうぐん〔‐タイシヤウグン〕【征×夷大将軍】
1 古代、蝦夷えぞ鎮撫ちんぶのための遠征軍の指揮官。延暦13年(794)大伴弟麻呂が任ぜられたのに始まる。征夷将軍。
2 鎌倉時代以降、幕府の主宰者の職名。鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利あしかが氏、江戸幕府の徳川氏まで引き継がれた。将軍。
出典:小学館「デジタル大辞泉」

なぜ坂上田村麻呂と間違われるの?

坂上田村麻呂が征夷大将軍として有名なのは、彼が活躍した最初の征夷大将軍だからです。

  • 大伴弟麻呂:794年に初代征夷大将軍に任命
  • 坂上田村麻呂:797年に征夷大将軍に任命され、実際に蝦夷征討で大きな成果をあげた

坂上田村麻呂は実際に戦果をあげ、清水寺の建立など後世に名を残したため、「征夷大将軍といえば坂上田村麻呂」というイメージが強くなったのです。

イラスト/タワシ

この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

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