織田信長の幼名は?【間違えたら恥ずかしい】「学校で習ったっけ?」→「間違ってた!」「覚えておきます」

  • 2025年11月15日公開

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こんにちは、ヨムーノ編集部です。

氷河期世代が青春時代に遊んだゲームといえば、KOEIの「三国志」や「信長の野望」が5本の指に入ると言っても過言ではない大人気ゲームでした。

さて、その「信長の野望」といえば戦国時代を駆け抜けた天下人、織田信長。型破りな行動から「うつけ者」と呼ばれ、日本の歴史を一変させました。

「戦国の風雲児」の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!

りんごのイラスト/タワシ

織田信長の幼少期の名前は?

誰もが知るこの信長ですが、彼がまだ幼く、尾張の城下町で奔放に育っていた頃、どのような名前で呼ばれていたかご存じですか?

次のうちから選んでみてください。

① 竹千代

② 日吉丸

③ 吉法師

正解は……

③の吉法師(きっぽうし)でした!

織田信長は、幼い頃「吉法師」という名前で呼ばれていました。

当時、吉法師は城下を走り回り、奇抜な服装をしていたため、周囲からは「尾張の大うつけ(大馬鹿者)」と陰口を叩かれていました。
しかし、この型破りな行動こそが、後の天下統一への道を切り開く、信長らしい独創性の表れだったのかもしれません。

ちなみに、他の選択肢は戦国時代の有名な武将の幼少期の名前です。

① 竹千代(たけちよ): 徳川家康の幼少期の名前です。

② 幸千代(ゆきちよ): 豊臣秀吉の最初の幼名(伝承による)として知られる名前です。また「日吉丸(ひよしまる)」という説もあります。

このように、後の天下人たちは、みな「~千代」「~法師」といった古風な幼名を持っていたのです。

豆知識:なぜ、現代は「幼少期の名前」がないの?

戦国武将が幼少期と成人後で名前を変えたのは、「元服(げんぷく)」という成人儀礼が大きく関係しています。

1. 昔の武将は「成人したら改名」がセットだった

昔の日本には、子どもから大人になるための儀式「元服」がありました。この儀式で、烏帽子(えぼし)をかぶり、髪型を変え、同時にそれまで使っていた幼名を廃して新しい本名(諱:いみな)を名乗るのが慣習でした。

幼名(吉法師、竹千代など)は、魔物から子どもを守るための縁起かつぎや、健康を願う親の愛情が込められた「子どもの名前」だったのです。

2. 「元服」が廃止され、幼名も消えた

この元服の習慣は、明治時代以降に廃れていきました。

明治29年(1896年)に民法が制定され、満20歳で一律に「成人」と定められたことで、伝統的な元服の儀式は社会的な意味を失います。

「成人になったら名前を変える」という慣習そのものがなくなったため、現代では、生まれた時に付けた名前をそのまま使い続けるのが一般的になりました。

幼名の習慣が消えた「最後の世代」は?

幼名の習慣が残っていた最後の世代として有名なのが、江戸幕府の終焉と明治維新の立役者たちです。彼らは、伝統的な武家の慣習に則り、幼名から本名に改名した「最後の著名人」となりました。

  • 徳川慶喜(最後の将軍)の幼名:七郎麻呂(しちろうまろ)

  • 勝海舟(幕末の政治家)の幼名:麟太郎(りんたろう)

  • 伊藤博文(初代内閣総理大臣)の幼名:利助(りすけ)

これらの人物の存在は、日本から幼名と元服の習慣が消え、現代に通じる名前の仕組みへと移行した、歴史の節目を物語っています。

この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

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