「最後の征夷大将軍は徳川慶喜。初代征夷大将軍は?」【昔習ったのと違うかも?】→「間違ってた!」「覚えておきます」

  • 2025年08月22日公開

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こんにちは、ヨムーノ編集部です。

歴史の授業で習った記憶はあるけれど、案外正確には覚えていないもの。さらに、意外と勘違いしたまま覚えていることも……。

そこで今回は、日本史の重要人物から出題です!

「征夷大将軍」の初代は誰でしょうか?

次のうちの誰か、当ててください!

① 藤原道長
② 大伴弟麻呂
③ 坂上田村麻呂
④ 源頼朝

ちなみに最後の征夷大将軍は徳川慶喜ですね。

果たして答えは…

「坂上田村麻呂」だと思われがちですが、これは間違い!

正解は、②大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初代征夷大将軍です。

せいい‐たいしょうぐん〔‐タイシヤウグン〕【征×夷大将軍】
1 古代、蝦夷えぞ鎮撫ちんぶのための遠征軍の指揮官。延暦13年(794)大伴弟麻呂が任ぜられたのに始まる。征夷将軍。
2 鎌倉時代以降、幕府の主宰者の職名。鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利あしかが氏、江戸幕府の徳川氏まで引き継がれた。将軍。
出典:小学館「デジタル大辞泉」

なぜ坂上田村麻呂と間違われるの?

坂上田村麻呂が征夷大将軍として有名なのは、彼が活躍した最初の征夷大将軍だからです。

  • 大伴弟麻呂:794年に初代征夷大将軍に任命
  • 坂上田村麻呂:797年に征夷大将軍に任命され、実際に蝦夷征討で大きな成果をあげた

坂上田村麻呂は実際に戦果をあげ、清水寺の建立など後世に名を残したため、「征夷大将軍といえば坂上田村麻呂」というイメージが強くなったのです。

源頼朝は「武家政権の初代征夷大将軍」

学校の授業で「初代将軍」として習うことが多いのが、源頼朝(みなもとのよりとも)です。彼は1192年に征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を開きました。

頼朝以降、征夷大将軍は単なる軍事司令官ではなく、武士の頂点に立ち、国を治める「武家政権のトップ」という恒久的な地位を意味するようになりました。私たちが一般的にイメージする「将軍様」の始まりが、この源頼朝です。

正解できたでしょうか?「覚えていたのと違う」という方もいるのではないでしょうか?この機会にぜひ知識をアップデートしてくださいね。

イラスト/タワシ

この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

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