「最後の征夷大将軍は徳川慶喜。初代征夷大将軍は?」【昔習ったのと違うかも?】→「間違ってた!」「覚えておきます」

  • 2026年04月19日公開

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こんにちは、ヨムーノ編集部です。

日曜日と言えば大河ドラマ!?
ここでは、日本史に関する雑学クイズをまとめてみました!

初代江戸城の城主は?

時代劇でもおなじみ、江戸幕府の将軍様が住んでいた巨大な城「江戸城」。
江戸城といえば「徳川家康」のイメージが強烈ですが、実は家康は江戸城を大改修した人物であり、「最初に江戸城を築いた(初代城主)」ではありません。

では、1457年に最初に江戸城を築城した人物は誰でしょう?

  1. 目黒 蓮
  2. 太田 道灌
  3. 文京 氏康
  4. 千代田 秀郷
  5. 港 源十郎

正解

正解は… 2. 太田 道灌(おおた どうかん) です!

家康が来る「130年以上前」の境界線

「江戸城=徳川家康」と思っている人が非常に多いですが、歴史のタイムラインを見ると明確な境界線があります。

太田道灌が江戸城を築いたのは、室町時代の1457年。
一方、徳川家康が豊臣秀吉の命令で関東に左遷(国替え)され、初めて江戸に入ったのは1590年です。つまり、家康が来る133年も前に、すでに太田道灌によって江戸城は作られていたのです。

ただ、家康が江戸にやってきた当時の江戸城は、道灌の死後にすっかり荒れ果てており、屋根は茅葺き(草の屋根)でボロボロ、周りは湿地帯とススキ野原が広がる「田舎のボロ城」状態でした。そこから途方もない大工事を行って、あの巨大な城郭都市へと作り変えたため、「江戸城=家康」のイメージが定着したのです。

東京の基礎を作った「文武両道の天才」

太田道灌は、ただ城を作っただけではありません。
築城技術に優れていただけでなく、川の整備をして船着き場を作り、江戸を「関東の貿易・流通の拠点」として大発展させました。現在の東京(大都市)の本当のルーツ(基礎)を作ったのは、間違いなくこの太田道灌なのです。
(※現在も、東京国際フォーラムや東京都庁には太田道灌の銅像が建てられています)

問題:青葉城の築城主は誰?

「独眼竜」の異名で知られ、現在の仙台の街の基礎を作った名将。
彼が築き上げた「青葉城(仙台城)」の初代築城主は、幼名(子どもの頃の名前)でいうと次のうち誰でしょう?

  1. 竹千代
  2. 梵天丸
  3. 日吉丸
  4. 吉法師

正解

正解は… 2. 梵天丸(ぼんてんまる / のちの伊達政宗) です!

東北の暴れん坊「梵天丸」

梵天丸は、のちの伊達政宗(だて まさむね)の子どもの頃の名前です。

彼は幼い頃に天然痘(てんねんとう)という病気にかかり、右目を失ってしまいました。
しかし、そのハンデを乗り越えて立派な武将へと成長し、「独眼竜」として恐れられるようになります。

そんな政宗が天下の徳川家康から許可を得て、青葉山の上に築き上げた巨大な要塞が「青葉城」です。(※大河ドラマの「梵天丸もかくありたい」という名台詞でもおなじみですね!)

伊達家が代々守り抜いた城

江戸城や姫路城など、城主がコロコロ変わるお城が多い中、青葉城は「築城から幕末まで、ずっと同じ一族(伊達家)が城主だった」という非常に安定した歴史を持っています。

豆知識:青葉城には「天守閣」が最初からなかった!?

現在の青葉城跡に行っても天守閣はなく、石垣と政宗の銅像しかありません。
「戦争や火事で燃えてしまったのかな?」と思われがちですが、実は青葉城には、築城された最初から「天守閣」が一度も建てられていません。

「征夷大将軍」の初代は誰でしょうか?

次のうちの誰か、当ててください!

① 藤原道長
② 大伴弟麻呂
③ 坂上田村麻呂
④ 源頼朝

ちなみに最後の征夷大将軍は徳川慶喜ですね。

果たして答えは…

「坂上田村麻呂」だと思われがちですが、これは間違い!

正解は、②大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初代征夷大将軍です。

せいい‐たいしょうぐん〔‐タイシヤウグン〕【征×夷大将軍】
1 古代、蝦夷えぞ鎮撫ちんぶのための遠征軍の指揮官。延暦13年(794)大伴弟麻呂が任ぜられたのに始まる。征夷将軍。
2 鎌倉時代以降、幕府の主宰者の職名。鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利あしかが氏、江戸幕府の徳川氏まで引き継がれた。将軍。
出典:小学館「デジタル大辞泉」

なぜ坂上田村麻呂と間違われるの?

坂上田村麻呂が征夷大将軍として有名なのは、彼が活躍した最初の征夷大将軍だからです。

  • 大伴弟麻呂:794年に初代征夷大将軍に任命
  • 坂上田村麻呂:797年に征夷大将軍に任命され、実際に蝦夷征討で大きな成果をあげた

坂上田村麻呂は実際に戦果をあげ、清水寺の建立など後世に名を残したため、「征夷大将軍といえば坂上田村麻呂」というイメージが強くなったのです。

源頼朝は「武家政権の初代征夷大将軍」

学校の授業で「初代将軍」として習うことが多いのが、源頼朝(みなもとのよりとも)です。彼は1192年に征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を開きました。

頼朝以降、征夷大将軍は単なる軍事司令官ではなく、武士の頂点に立ち、国を治める「武家政権のトップ」という恒久的な地位を意味するようになりました。私たちが一般的にイメージする「将軍様」の始まりが、この源頼朝です。

正解できたでしょうか?「覚えていたのと違う」という方もいるのではないでしょうか?この機会にぜひ知識をアップデートしてくださいね。

イラスト/タワシ

この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

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