「最後の征夷大将軍は徳川慶喜。初代征夷大将軍は?」【昔習ったのと違うかも?】→「間違ってた!」「覚えておきます」

  • 2026年08月09日公開

こんにちは、ヨムーノ編集部です。

日曜日と言えば大河ドラマ!?
ここでは、日本史に関する雑学クイズをまとめてみました!

イラスト/タワシ

初代江戸城の城主は?

時代劇でもおなじみ、江戸幕府の将軍様が住んでいた巨大な城「江戸城」。
江戸城といえば「徳川家康」のイメージが強烈ですが、実は家康は江戸城を大改修した人物であり、「最初に江戸城を築いた(初代城主)」ではありません。

では、1457年に最初に江戸城を築城した人物は誰でしょう?

  1. 目黒 蓮
  2. 太田 道灌
  3. 文京 氏康
  4. 千代田 秀郷
  5. 港 源十郎

正解

正解は… 2. 太田 道灌(おおた どうかん) です!

家康が来る「130年以上前」の境界線

「江戸城=徳川家康」と思っている人が非常に多いですが、歴史のタイムラインを見ると明確な境界線があります。

太田道灌が江戸城を築いたのは、室町時代の1457年。
一方、徳川家康が豊臣秀吉の命令で関東に左遷(国替え)され、初めて江戸に入ったのは1590年です。つまり、家康が来る133年も前に、すでに太田道灌によって江戸城は作られていたのです。

ただ、家康が江戸にやってきた当時の江戸城は、道灌の死後にすっかり荒れ果てており、屋根は茅葺き(草の屋根)でボロボロ、周りは湿地帯とススキ野原が広がる「田舎のボロ城」状態でした。そこから途方もない大工事を行って、あの巨大な城郭都市へと作り変えたため、「江戸城=家康」のイメージが定着したのです。

青葉城の築城主は誰?

「独眼竜」の異名で知られ、現在の仙台の街の基礎を作った名将。
彼が築き上げた「青葉城(仙台城)」の初代築城主は、幼名(子どもの頃の名前)でいうと次のうち誰でしょう?

  1. 竹千代
  2. 梵天丸
  3. 日吉丸
  4. 吉法師

正解

正解は… 2. 梵天丸(ぼんてんまる / のちの伊達政宗) です!

東北の暴れん坊「梵天丸」

梵天丸は、のちの伊達政宗(だて まさむね)の子どもの頃の名前です。

彼は幼い頃に天然痘(てんねんとう)という病気にかかり、右目を失ってしまいました。
しかし、そのハンデを乗り越えて立派な武将へと成長し、「独眼竜」として恐れられるようになります。

そんな政宗が天下の徳川家康から許可を得て、青葉山の上に築き上げた巨大な要塞が「青葉城」です。(※大河ドラマの「梵天丸もかくありたい」という名台詞でもおなじみですね!)

「征夷大将軍」の初代は誰?

次のうちの誰か、当ててください!

① 藤原道長
② 大伴弟麻呂
③ 坂上田村麻呂
④ 源頼朝

ちなみに最後の征夷大将軍は徳川慶喜ですね。

果たして答えは…

「坂上田村麻呂」だと思われがちですが、これは間違い!

正解は、②大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が初代征夷大将軍です。

せいい‐たいしょうぐん〔‐タイシヤウグン〕【征×夷大将軍】
1 古代、蝦夷えぞ鎮撫ちんぶのための遠征軍の指揮官。延暦13年(794)大伴弟麻呂が任ぜられたのに始まる。征夷将軍。
2 鎌倉時代以降、幕府の主宰者の職名。鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府の足利あしかが氏、江戸幕府の徳川氏まで引き継がれた。将軍。
出典:小学館「デジタル大辞泉」

なぜ坂上田村麻呂と間違われるの?

坂上田村麻呂が征夷大将軍として有名なのは、彼が活躍した最初の征夷大将軍だからです。

  • 大伴弟麻呂:794年に初代征夷大将軍に任命
  • 坂上田村麻呂:797年に征夷大将軍に任命され、実際に蝦夷征討で大きな成果をあげた

坂上田村麻呂は実際に戦果をあげ、清水寺の建立など後世に名を残したため、「征夷大将軍といえば坂上田村麻呂」というイメージが強くなったのです。

源頼朝は「武家政権の初代征夷大将軍」

学校の授業で「初代将軍」として習うことが多いのが、源頼朝(みなもとのよりとも)です。彼は1192年に征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を開きました。

頼朝以降、征夷大将軍は単なる軍事司令官ではなく、武士の頂点に立ち、国を治める「武家政権のトップ」という恒久的な地位を意味するようになりました。私たちが一般的にイメージする「将軍様」の始まりが、この源頼朝です。

正解できたでしょうか?「覚えていたのと違う」という方もいるのではないでしょうか?この機会にぜひ知識をアップデートしてくださいね。

「甲斐の虎」武田信玄の幼少期の名前は?

戦国最強と謳われた騎馬軍団を率い、上杉謙信と何度も激突した武田信玄(たけだしんげん)。
彼がまだ幼く、後の武将としての本名「晴信(はるのぶ)」を名乗る前に呼ばれていた真の幼名をご存知ですか?

織田信長の「吉法師」、上杉謙信の「虎千代」と並ぶ、武田信玄の幼名は何だったのでしょうか。

この記事では、「甲斐の虎」の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!

次のうちから選んでみてください。

① 勝千代

② 梵天丸

③ 彦太郎

正解は……

正解は……①の勝千代(かつちよ)でした!

武田信玄は、幼い頃「勝千代(かつちよ)」という名前で呼ばれていました。「勝」という文字は、武士の家に生まれた嫡男として、生涯にわたる勝利が期待されていたことを示しています。

彼の生涯は、父・信虎を追放するところから始まり、その名に込められた「勝ち」への執念を体現するものでした。

ちなみに、他の選択肢は以下の通りです。

② 梵天丸(ぼんてんまる):伊達政宗の幼名です。

③ 彦太郎(ひこたろう):信玄は元服後「太郎」を通称としていましたが、「彦太郎」は織田信長の弟(織田信行)などが名乗った名前であり、信玄の幼名ではありません。

「土佐の出来人」長宗我部元親の幼名は?

四国統一を目指し、一代で土佐(現在の高知県)から四国全土を支配下に収めた名将、長宗我部元親。彼は若い頃、その内気な性格から「姫若子(ひめわかこ)」と呼ばれたこともありました。

この「土佐の出来人(できにん)」の幼少期の名前は、その後の彼の勇猛な活躍とは対照的な、どのような名前だったのでしょうか?

この記事では、長宗我部元親の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!

次のうちから選んでみてください。

① 弥太郎

② 弥三郎

③ 万次郎

正解は……

②の弥三郎(やさぶろう)でした!

長宗我部元親は、幼い頃「弥三郎」という名前で呼ばれていました。

元親は、少年時代は色白で容姿が整っていたものの、口数が少なく、戦や武芸に興味を示さなかったため、家臣たちから「姫若子(ひめわかこ)」と揶揄されることもありました。

しかし、初陣である長浜の戦いでその内気な性格が一変し、武将としての才能を開花させます。この「姫若子」から「土佐の出来人」へと変わったギャップが、彼の人気を支える要因の一つです。

① 弥太郎(やたろう): 岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)の幼少期の名前です。
NHK大河ドラマ福山雅治さん主演「龍馬伝」では、岩崎弥太郎役を香川照之さんが演じて認知度が爆上がりしました。

後の歴史に名を残す偉人たちは、みな古風な幼名を持っていたことが分かりますね。

豆知識:「四国統一」は達成できた?できなかった?

長宗我部元親は「四国統一を達成した」というイメージがありますが、厳密には「四国をほぼ支配下に収めたが、豊臣秀吉の介入により、完全統一はできなかった」というのが正確です。

上杉謙信の幼名は?

戦国武将の幼少期の名前は、その後の運命を予期させるような意味が込められていることもあります。

この記事では、上杉謙信の幼少期の名前をクイズ形式でご紹介します。あなたの歴史知識に挑戦してみましょう!

次のうちから選んでみてください。

① 虎千代

② 雲洞庵

③ 吉法師

正解は……

①の虎千代(とらちよ)でした!

上杉謙信は、幼い頃「虎千代」という名前で呼ばれていました。これは、虎のように強く、たくましく育ってほしいという、家を継ぐ者に対する願いが込められた名前です。

若くして越後の国主となり、敵対した関東管領家の家督を継いで「上杉」姓を名乗るまで、彼は長尾景虎(ながおかげとら)という名前を名乗っていました。

彼の幼名にも、本名にも「虎」の文字が入っているのは、非常に興味深いですね。

▲雲洞庵

雲洞庵(うんとうあん)はお寺の名前です。
新潟県南魚沼市にあるお寺で、上杉景勝(謙信の養子)と、その重臣である直江兼続が幼少期に修行した場所として有名です。

吉法師は織田信長の幼名です。

豆知識:なぜ、現代は「幼少期の名前」がないの?

戦国武将が幼少期と成人後で名前を変えたのは、「元服(げんぷく)」という成人儀礼が大きく関係しています。

1. 昔の武将は「成人したら改名」がセットだった

昔の日本には、子どもから大人になるための儀式「元服」がありました。この儀式で、烏帽子(えぼし)をかぶり、髪型を変え、同時にそれまで使っていた幼名を廃して新しい本名(諱:いみな)を名乗るのが慣習でした。

幼名(吉法師、竹千代など)は、魔物から子どもを守るための縁起かつぎや、健康を願う親の愛情が込められた「子どもの名前」だったのです。

2. 「元服」が廃止され、幼名も消えた

この元服の習慣は、明治時代以降に廃れていきました。

明治29年(1896年)に民法が制定され、満20歳で一律に「成人」と定められたことで、伝統的な元服の儀式は社会的な意味を失います。

「成人になったら名前を変える」という慣習そのものがなくなったため、現代では、生まれた時に付けた名前をそのまま使い続けるのが一般的になりました。

幼名の習慣が消えた「最後の世代」は?

幼名の習慣が残っていた最後の世代として有名なのが、江戸幕府の終焉と明治維新の立役者たちです。彼らは、伝統的な武家の慣習に則り、幼名から本名に改名した「最後の著名人」となりました。

  • 徳川慶喜(最後の将軍)の幼名:七郎麻呂(しちろうまろ)

  • 勝海舟(幕末の政治家)の幼名:麟太郎(りんたろう)

  • 伊藤博文(初代内閣総理大臣)の幼名:利助(りすけ)

これらの人物の存在は、日本から幼名と元服の習慣が消え、現代に通じる名前の仕組みへと移行した、歴史の節目を物語っています。

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この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

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