弟の転落事故、失恋と挫折…『ヒルナンデス』出演で大ブレイク!料理家・稲垣飛鳥さん「主婦からバズる再現レシピ研究家に」【前編】

  • 2025年09月13日公開

あなたの『ひかがみ』はどこ?【間違えたら恥ずかしい】「人生で聞いたことないぞ!」→「覚えておきます」

こんにちは、ヨムーノ編集部です。

このたび、ヨムーノで活躍する方をフィーチャー。これまでの歩みを語っていただくことで、その魅力の理由を紐解きます。

今回ご紹介するのは、再現レシピ研究家・料理家として活躍し、シャトレーゼマニアやドン・キホーテマニアとしても知られる稲垣飛鳥さん。ブログやYouTubeを通じても幅広く情報を発信しています。

次々と新しいことに挑戦し続ける稲垣さんはどのような幼少期を過ごし、どのようにして今の姿になったのか。「稲垣飛鳥の作り方」として前編・後編の2回にわたってお届けします。前編は幼少期から現在に至るまでをお伺いしました。

稲垣飛鳥(いながきあすか)さんプロフィール

1976年京都生まれ、香川育ち。
ホリプロ所属の再現料理研究家・料理家。シャトレーゼ・ドン・キホーテなどショップマニアとしてもメディアで活動中。自身のYouTube『再現レシピ稲垣飛鳥のasucafe channel』で紹介した再現レシピは再生回数150万回超え。ヨムーノライターとしても人気記事を量産。
高3の息子と中3の娘をもつ2児の母。

子どもの頃から好きなことはとことんやるタイプ

――現在は再現レシピなどの料理や食をメインとしたお仕事にされていますが、もとはフルート奏者やタレントとして活動されていたそうですね。とても異色な経歴です。

稲垣さん:両親ともに音楽が好きで、子どもの頃からクラシックからボブ・マーリーなどのレゲエまで、さまざまなジャンルの音楽に触れていました。自然と音楽が好きになり、5歳から音楽教室に通い始めました。

ある日、父がエレクトーン®︎を買ってくれたんですが、その日に私、ご飯も食べずに8時間演奏し続けたらしいです。それくらい音楽が好きだったし、子どもの頃から好きなことに没頭するタイプでしたね。

弟の転落事故がきっかけで性格が一変!

――食べることや料理することも、子どもの頃から好きだったんですか?

稲垣さん:小さい頃はとても少食で、食べるのが苦手でした。性格も引っ込み思案で、父の後ろに隠れているような子どもでした。

それが変わったのは5歳のとき。弟が高所から転落して脳に障害が残ってしまい、さらにその1ヶ月後に妹が生まれて、母が私のことを頼るようになったんです。それで自信がついたのか、性格ががらりと変わりました。

「再現レシピ」の原点は小3のお菓子作り

稲垣さん:私の記憶の中で最初に料理をしたのは5歳。体調を崩した母のために「ご飯を作ってあげよう!」と思い、子ども用の椅子に立って肉炒めを作りました。肉炒めといっても、塩コショウで味付けしただけのものですよ。

本格的に料理の楽しさに目覚めたのは小3。友だちが誘ってくれて初めてケーキを作り、オーブントースターで焼いた生地に生クリームと缶詰フルーツをのせたカップケーキでした。それまではケーキは買うものだと思っていたから、「家でもできるんだ!」って感動してお菓子作りにハマり、母のレシピ本を見てクレープやアップルパイなど、ありとあらゆるものを作りました。

稲垣さん:香川出身なので都会と比べると手に入らないものも多かったので、なんでも家で作れることを知ってからは、手に入らないものは作るように。その考え方が再現レシピにつながっているかもしれないですね。

学生時代は挑戦の連続、卒業後は関西でタレントに

――それほどお菓子作りにハマっていたのに、料理の道へは進まなかったのですね。

稲垣さん:お菓子作りは続けていましたが、専門的に学ぶ選択肢はありませんでした。中学で吹奏楽部に入りフルートを始めると、2年生でアンサンブルコンテストの全国大会に出場。音楽科のある高校を経て、大学では中学校教員養成課程の音楽専攻に進学し、在学中はミュージカルの舞台にも立ちました。

卒業後の進路を考えたとき、「人前で表現する仕事がしたい!そうだ、アナウンサーになろう」って思って。そのときにバイトをしていた病院の院長に相談したら、人づてにあれよあれよという間に関西の大手MC事務所を紹介してもらうことができ、所属することになりました。

稲垣さん:最初に受けたオーディションが甲子園の滋賀県大会予選のレポーターだったんですけれど、最後に「私、フルート吹けます」って自分からアピールして演奏したら、60倍の倍率を勝ち抜いて受かったんですよ。

それをきっかけに、芸人さんと一緒に出演するラジオ番組のアシスタントを務めたり、フルートでライブに出演したりと、活動の幅を広げていきました。

上京してすぐに職と恋人を失い挫折……

――タレントとフルート奏者という二刀流で活動していた稲垣さんが、どう料理の世界へ?

稲垣さん:28歳でレギュラー番組を全部やめ、当時の彼を追いかけて上京しました。みんなから反対されるのがわかっていたから、東京にフルートをやりに行きますって嘘をついて(笑)。実際、レストランで毎日フルートを演奏する仕事があったんですよ。

でも、上京して1ヶ月でそのお店は潰れてしまいました。さらに彼ともすぐに別れてしまい、私、東京に何をしにきたんだろう……って感じで。家賃を払うため昼はカフェ、夜は生演奏のある銀座のクラブで働きました。

結婚・出産で主婦に──転機は“読者モデル”

稲垣さん:それまではタレントとして活動していたのに、知り合いの少ない土地での慣れない仕事に挫折を感じることもありました。もがきながらなんとか暮らしている中でいろいろとご縁があり、レコーディングエンジニアをしている夫と出会って結婚し、出産。フルートの仕事は夜のことが多く、子どもがいるとできないため、仕事をセーブして主婦をしていました。

その頃にたまたま手にした生活情報誌『サンキュ!』で、子どもと一緒に撮影をする読者モデルの存在を知り、「これがやりたい!」と応募。面接に呼んでもらえる履歴書を作ろうと、フルートやラッピング、得意料理など、できることを撮影した写真を用意し、裏に説明を添えて同封しました。

稲垣さん:応募は1,000人いたそうですが幸運にも合格。料理家さんのレシピを作ってレポートする企画に小さく掲載されたのが始まりでした。

「おうち外食」が大ヒット、『ヒルナンデス!』などテレビ出演へ

稲垣さん:その雑誌に「おうち外食」という、人気チェーン店のメニューを自宅で再現する、のちの再現レシピとなる人気企画があったんですね。その第一人者としてやらないかと編集長から声をかけてもらって特集ページに出ました。

すると、その企画を見た『ヒルナンデス!』のディレクターさんから連絡があり、2013年に番組出演。40分間の特集が組まれ、その日のYahoo!検索ランキングの1位が「稲垣飛鳥」になったんです!

そこから他局にも声がかかり、仕事が数珠つなぎに増えました。シャトレーゼやドン・キホーテの“マニア”取材も、読者モデルがきっかけです。

自分の「好き」や「やりたい」が仕事につながる

挫折を経験しながらも、自分の「好き」や「やりたい」という気持ちに忠実に行動した結果、導かれるようにして再現レシピ研究家・料理家という仕事に巡り合った稲垣さん。
後半では、多忙を極める稲垣さんの時間活用術や、将来的なプランなどについてお伺いします。


撮影/野口マサヒロ(WIND) 取材・文/水浦裕美

この記事を書いた人
ヨムーノ 編集部

「くらしをもっと楽しく!かしこく!」をコンセプトに、マニア発「今使えるトレンド情報」をお届け中!話題のショップからグルメ・家事・マネー・ファッション・エンタメまで、くらし全方位を網羅。

こちらもどうぞ

人気記事ランキング 24時間PV集計
コラム

特集記事

連載記事

こちらもどうぞ