【最終回目前】大坂城の運命やいかに!? 真田幸村が築いた巨大砦「真田丸」に迫る
- 2023年06月27日更新
大河ドラマ「真田丸」も残すところあとわずか。
真田幸村(堺雅人)が大坂へ入り、大坂城を舞台とした戦でついに姿を現した砦“真田丸”。しかし、幸村の奮戦むなしく、淀殿(竹内結子)が徳川家康(内野聖陽)との和睦に傾いたことから、豊臣家に危機が訪れる……。果たして大坂城の運命やいかに!?
今回は、クライマックスの舞台である“要塞”大坂城、そして大坂城を守るため、幸村がその智謀の限りを尽くして築いた巨大砦「真田丸」に迫ります。
大坂城、そのはじまりは難攻不落の「お寺」

現在の大坂城がある、大阪市中央区の上町台地。
この辺りに最初に築かれた城は1496年、浄土真宗の僧・蓮如(本願寺第8世)が建立した「大坂御坊」、のちの「石山本願寺」でした。
上町台地は、淀川の河口に位置した水運の拠点であり、京や堺へ通じる陸上交通の要地。「僧が建立した寺院」とはいえ、堀、土塁、塀などをめぐらせた立派な「城塞」となっていました。
のちの顕如(本願寺第11世)の頃には門徒の勢力も増し、一向一揆によって天下の織田信長(吉田鋼太郎)を苦しめ、石山本願寺を拠点に11年に及ぶ長い戦に持ちこたえました。
信長の遺志を継いだ秀吉が「お城」造り開始
1580年、ようやく顕如を退去させ石山の地を手に入れた信長ですが、2年後、あえなく本能寺に倒れ、その翌年、この地に豊臣秀吉(小日向文世)が大坂城の築城工事を開始します。
秀吉は信長の安土城をモデルに、1年半後には黄金をふんだんに用いたラグジュアリーな5層の大天守を完成させます。
当時まだ不安定だった自らの権力、そして空前の富を誇示して来客者の度肝を抜きました。
大坂城はその後15年の歳月をかけて増築され、二の丸・三の丸といった曲輪に惣構、複雑な石垣が組まれ、さらに巨大な城郭となっていきました。
大坂城のウィークポイントに真田丸誕生

秀吉の死後、豊臣VS徳川の対立が本格化し、関ヶ原の戦いを経た1614年、ついに大坂の陣へとなだれ込みます。
この頃、大坂城には約10万人にも及ぶ勢力が集まったものの、彼らはみな寄せ集めの浪人衆で、統率力に欠けていたようです。
ここへ加勢したのが、関ヶ原合戦の後、九度山へ蟄居(ちっきょ)させられていた真田幸村(信繁)。
過去に上田城で2度も徳川を撃退した幸村は一軍の将を任され、「城を出て攻撃を仕掛ける」と策を掲げたものの、「籠城戦」を決め込む豊臣家がことごとく却下。
せめてもの攻撃策として、大坂城の南方に砦を築き、敵を迎え撃つことを提案し、ようやく許可されます。

こうして誕生したのが、のちに真田の名を天下に知らしめることになる「真田丸」。
三方を河川に囲まれ、鉄壁の守りを誇る難攻不落の大坂城は、陸続きの南方が弱点とされ、幸村はここに「丸馬出し(半円形状の曲輪)」を築きました。
周囲にはぐるりと鉄砲狭間のついた塀がめぐらされ、空堀には乱杭・逆茂木など徹底的なトラップが仕掛けられました。「丸馬出し」や「砦」といっても大きさは南西220メートル、南北230メートル。。
大坂城から200メートル離れた場所にあり、巨大すぎてもはやそこは独立した城のようだったと言われます。
大坂冬の陣:最も激しい戦闘「真田丸攻防戦」

大坂城を包囲する徳川勢の前に、突如出現した巨大な「真田丸」。
当然、素通りされるはずもなく、真田丸を舞台に“大坂冬の陣”の戦いの火ぶたが切られます。幸村は敵を引き寄せ一気に叩くという、過去に徳川勢を撃退した上田城と同じ戦法で敵を蹴散らし、味方はほぼ無傷、徳川勢には数千人の死傷者を出し、徳川20万の大軍を城内へ1兵も突入させなかったようです。

しかし!こんなにも奮戦した幸村ですが……。
大坂城北側にある備前島から、大坂城天守を目がけて打ち込まれた大砲(カルバリン砲)に恐れおののいた淀殿が、突如徳川との和議に応じ、早くも“冬の陣”の幕が閉じられました。
大坂城、丸裸にされ無防備な夏の悲劇

“冬の陣”で徳川と豊臣が交わした和議の条件のひとつが、「大坂城の堀を埋めること」でした。
1614年末から着々と作業が進められたものの、堀どころか惣構・二の丸・三の丸も破壊され、ついには城郭としての機能を失った、本丸ばかりの「裸城」となった大坂城。
これをしかと見届けた家康・秀忠(星野源)親子は、一旦大坂を離れますが、あの手この手で淀・秀頼親子を大坂から追い出そうと画策し、またもや戦いは避け難い情勢に……。
1615年5月には再び大坂が戦火に包まれ、“夏の陣”が始まります。しかし「裸城」となった大坂城に籠城できるはずもなく、城外へ出撃した幸村や後藤又兵衛らが相次いで討死。淀・秀頼(中川大志)は本丸北方の「山里曲輪」で側近らとともに自害して果てました。
大坂城はこの後徹底的に破壊され、豊臣時代の遺構はすべて埋められてしまいました。真田丸の場所は特定されていませんが、現在の明星学園から心眼時にかけた一帯ではないかと推測されています。
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